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風土と建築
~歴史を引継ぎ未来へ結ぶ~

宿と食事ローブン大多喜町は、田園ひろがる大多喜町の城下町にある「名家・中村家住宅」をベースに、“結び”をテーマに改修しました。街並みである城下町と田園の“結び”、奥に続く3つの建物の“結び”、旧家とローブンとの“結び”、いろいろな“結び”を体感してもらえると嬉しく思います。

徳川家康の側近である本多忠勝を城主に、江戸時代初期に房総で最も栄えた大多喜町。その城下町に位置するローブン大多喜町は、城下町特有の奥に細長い敷地に対し、商屋、蔵、住居が奥に並んで建っています。このつくりは京都の町屋などでよく見られる配置ですが、田園ひろがる大多喜町では敷地にゆとりがあるため、間口(敷地幅)がひろくなっています。そのため、各用途が独立した建物として少し雁行しながら奥につながっていく、とてもユニークな配置となっています。また各建物の間には、池のある庭園、ワークショップが体験できる庭、緑あふれる各ホテルの専用庭があり、城下町から田園に変わっていく風景を楽しめます。

各建物は、道路側から城下町の間、蔵の間、田園の間となります。それぞれは基となる建物の空間的な特徴が異なり、それらを最大限に活かして生まれ変わったローブン大多喜町の空間を紹介していきます。

城下町の間は、旧商屋のレストランです。下屋付きの大屋根空間に来客用の土間と奥の床間がひろがる商屋ならではの建物を活かし、お客様やシェフ、地域の方々など、多くの人が大屋根空間の下に寄り合い、文化を創っていく城下町に開かれたレストラン空間をつくりました。メインエントランスからレストランに入ると、正面に厨房、左に屋根の小屋組(梁など)と池のある庭園を楽しめる床間、右に雑貨や家具などセレクトされた物達に囲まれた土間(城下町に開かれた空間)があり、一体感ある空間の中でも好みな居場所を選択することができます。

蔵の間は、旧蔵のホテルです。窓も小さく厚い壁で閉ざされた蔵ならではの建物を活かし、別世界に籠る(こもる)ことを楽しめるホテル空間をつくりました。暖簾をくぐり、重厚感と抜け感のある引戸(元々の扉の表面をガラスに変更)を開けると、目の前には大きな桧のテーブルと歴史を感じさせる塗り壁、異質な鋼製のまわり階段と小さな窓に出逢います。吹抜けを通り2階はベッドルーム、入口から向かって左奥のドアを開けると桧材に囲まれた浴場の離れ(小屋)と蔵の間宿泊者のみが利用できる囲い庭があります。時間が凝縮されたような小空間で語らう。心が内面に向かい等身大の自分でいられるような包み込まれる空間を楽しめます。

田園の間は、旧住居のホテルです。小さな間(部屋)を必要に応じて増築していった住居ならではの建物と奥に拡がる田園風景を活かし、ゆったりとした時間と空間の中で、想い想いの居場所を楽しめるホテル空間をつくりました。広々とした田園の庭につながる広間、古民家らしい歴史を感じるソファ空間、田園の風景を楽しみながら大人数で入れる大浴場、大多喜城を眺めながら語らえる屋根テラス、田園風景にひらかれた奥庭デッキなど、多様な居場所から大多喜町に心が開放されていくようなおおらかな空間を楽しめます。

ローブン大多喜町のテーマは“結び”です。質の高い旧家建物の最大化、大多喜町ならではの工法(外壁の日本下見板張り等)や木材の利用だけではなく、既存の天井や壁、柱や梁、建具などを、建物間で交換しながら空間を創っていきました。例えば、城下町の間は元々フラットな天井が張られていましたが、大屋根空間をつくるために外し、蔵の間の離れ(新築)の天井に移築することで、新しいのに昔からあるような建物群としての馴染みが生まれました。その他、蔵の間に元々あった階段が城下町の間の土間にあるテーブルになったり、田園の間に元々あった土壁はセメントと混ぜることでタタキ土間として生まれ変わり、メインエントランスや庭の床仕上げになったり、数えたらきりがないほどの部位や部材の交換による“結び”が生まれています。それぞれの建物を巡りながら「あれがここにいったのかな?」と建物の昔と今に想いを馳せながら、建物を眺めてみるのもオススメです。

最後に、この大多喜町は元来房総の中心地として栄えてきたからこそ、周辺の街へのアクセスが良くつくられています。自然あふれる養老渓谷、漁業が盛んな勝浦漁港、サーフィンやゴルフを楽しめる九十九里浜や市原など、たくさんのレジャースポットの“結び”の拠点として、宿と食事ローブン大多喜町を是非お楽しみください。

令和6年3月
建築家・金子敦史(E4株式会社)